韓国が誇る創作ミュージカルが、演劇の本場ブロードウェイで歴史的な快挙を成し遂げました。しかし、その華やかなスポットライトの裏で、今、アメリカの演劇界を揺るがす大きな論争が巻き起こっています。
その中心にあるのは、韓国発のミュージカル『アッチョミョン・ハッピーエンディング(어쩌면 해피엔딩)』。日本では『もしかしたらハッピーエンディング』というタイトルでも知られ、数多くのK-POPアイドルや実力派俳優が出演してきた人気作です。
なぜ、韓国生まれのこの作品がブロードウェイで「人種差別」の議論を呼んでいるのでしょうか?その背景には、日韓のファンには少し意外に感じられる、アメリカ演劇界の深い歴史的トラウマがありました。
■ 「韓国人ロボット」を白人俳優が演じることへの違和感
事の発端は、ブロードウェイ版『アッチョミョン・ハッピーエンディング』のキャスティング発表でした。この作品は、未来の「ソウル」を舞台に、捨てられた旧型のヘルパーロボット(ヒューマノイド)であるオリバーとクレアが出会い、愛を育む物語です。
2025年のトニー賞(アメリカ演劇界で最も権威ある賞、映画のアカデミー賞に匹敵する)で6冠に輝くという、韓国ミュージカル史上初にして空前の成功を収めました。当初、主人公オリバー役を演じていたのは、アジア系の血を引くスター俳優ダレン・クリス(대런 크리스)でした。
しかし、その後のキャスト変更で、後任に白人俳優のアンドリュー・バース・フェルドマン(앤드류 바스 펠드먼)が起用されたことが、アジア系アメリカ人(AAPI)コミュニティに大きな衝撃を与えました。
「この決定を下した人々は理解していないかもしれないが、アジア系コミュニティが感じている裏切りは深く、実在するものだ。このようなことが起きるのを見るのは苦痛だ」
こう訴えたのは、トニー賞受賞歴のあるアジア系のベテラン俳優BD・ウォン(BD 웡)です。なぜ、ロボットという「人種を超越した存在」の役柄で、これほどまでの反発が起きたのでしょうか。
■ 100年以上続く「消されたアジア人」の歴史
日本のファンからすれば、「舞台はソウルだけど、ロボットの話だし、実力がある俳優なら誰が演じてもいいのでは?」と感じるかもしれません。しかし、アメリカにはアジア系俳優たちが長年戦い続けてきた「再現の権利」という非常にデリケートな問題があります。
韓国の大学教授であり専門家のキム・バフラ氏は、この怒りを理解するにはアメリカにおける差別の歴史を知る必要があると指摘します。
1. 「帰化法」による排除の歴史
アメリカ建国初期の1790年に制定された「帰化法」では、市民権は「自由な白人」にしか許されませんでした。この差別的な条項は1952年まで、実に160年以上も続いたのです。
2. 恋愛を禁じた「ヘイズ・コード」
1920年代からハリウッドで導入された「ヘイズ・コード(自主規制条項)」も、アジア系俳優の芽を摘みました。この規定により、スクリーン上で異なる人種間の恋愛や結婚を描くことが禁止されたのです。つまり、アジア系俳優がロマンチックな主役を演じる機会は、制度的に奪われていました。
3. 「イエローフェイス」の慣習
白人俳優がメイクをしてアジア人を演じる「イエローフェイス」は、かつて欧米演劇界の標準的な慣習でした。
こうした暗い歴史の中で、韓国人作家パク・チョニュ(박천휴)と作曲家ウィル・エランソン(윌 에런슨)が書き上げ、ソウルを舞台にしたこの作品は、アジア系俳優たちにとって「自分たちの物語を、自分たちの姿でありのままに演じられる希望の光」だったのです。
■ K-ミュージカルが直面する「グローバル化の宿題」
『アッチョミョン・ハッピーエンディング』がブロードウェイで幕を開けた際、主要キャスト7人のうち6人がアジア系俳優でした。ファンたちは「アジア系俳優が、悲劇やステレオタイプな役ではなく、普遍的な愛という感情を演じられることを証明した」と熱狂したのです。
しかし、商業的な成功を優先した(と見られる)白人俳優への交代は、彼らからすれば「アジアの優れた才能を宣伝にだけ使い、実利のために自分たちの存在を消し去る行為」に映りました。
これは、世界へ進出するK-ミュージカル(韓国の創作ミュージカル)にとって、避けては通れない「宿題」を突きつけています。韓国国内では、どんな人種が演じようと「作品そのものの価値」として受け入れられますが、多様性の象徴であるブロードウェイでは、キャスティング一つが政治的・社会的なメッセージを持ってしまうからです。
■ 私たちの推しの舞台、その「背景」にあるもの
韓国・大学路(テハンノ、ソウルにある劇場の聖地)の小さな劇場で産声を上げたロボットたちの恋物語が、今やニューヨークのど真ん中で議論の的になるほどの影響力を持つようになった。それは、ファンとして誇らしいことでもあります。
しかし、その成功の影で、自分たちのアイデンティティをかけて戦っている人々がいるという事実は、作品をより深く理解する手助けになるかもしれません。
「もしもオリバーが自分と同じ姿をしていたら……」と夢見たアジアの若者たち。K-コンテンツが世界を席巻する今、私たちは単に楽しむだけでなく、その先にある「表現の重み」についても、少しだけ思いを馳せてみたいものです。
日本でも何度も再演されているこの作品。皆さんは、今回のキャスティング論争についてどう感じましたか?「作品の舞台背景」を守ることと、「俳優の自由なキャスティング」、どちらが大切だと思いますか?ぜひあなたの意見をコメントで教えてください!
出典:https://biz.heraldcorp.com/article/10687953?ref=naver
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