ベルリン映画祭の華麗な背後にある暗い真実~活動家マヤ・Tが示す「民主主義の脆さ」

ベルリン映画祭が開幕し、韓国を代表する女優バ・ドゥナ(배두나)が審査委員を務め、香港の映画プロデューサー・ミシェール・ヨー(양자경)が名誉賞を受賞するという朗報が舞い込んできた。毎年2月中旬に開催されるこの映画祭は、ベルリンの冬の厳しさを少しでも和らげてくれる光のような存在だ。しかし今年、その華麗な光の背後には、ドイツの民主主義の脆さを象徴する一つの悲劇が隠れていた。

ベルリン映画祭は、東西冷戦時代の1951年に「自由世界への窓」というモットーの下、連合軍によって設立された。カンヌ映画祭がエリート向けであり、ヴェネツィア映画祭が高級芸術に特化しているなら、ベルリン映画祭は「市民のための映画祭」として知られている。世界最大規模を誇るこの映画祭は、政治性の強さでも有名だ。社会的葛藤をスクリーンに引き上げる作品が歓迎される、極めて政治的な映画祭なのである。

しかし、その政治的進歩性で名高いベルリンが、極めて非民主的な行動を取ったのが、ドイツ系左翼活動家マヤ・T事件である。

マヤ・Tは、ノンバイナリー(男女の二項対立的な性別から外れた性自認)の身元を持つ国際的な反ファシズム団体「アンティファ」のメンバーだ。2023年、ブダペストで公然とネオナチたちの行進に対抗し、彼らに暴力を振るい傷害を負わせたとして指名手配されていた。2024年2月4日、ブダペストの裁判所はマヤ・Tに対し8年の懲役を言い渡した。

ここまでであれば、暴力行為に対する相応の法的処罰として理解できるかもしれない。しかし、その背後の経緯が極めて問題なのだ。

ベルリン検察は、ハンガリー当局の身柄引き渡し要求に応じるため、ナチスの「夜と霧作戦」を思わせるほどの速さで行動した。新早朝2時、ベルリンの拘置所で眠るマヤ・Tを起こしてヘリコプターに乗せ、ハンガリーへ送り出したのだ。驚くべきことに、連邦憲法裁判所が身柄引き渡し拒否命令書を発布した時点で、ヘリコプターはすでに国境を越えていた。

ベルリン当局は、ブダペストで性的少数者への抑圧的扱いと劣悪な拘禁環境が待っていることを十分に知りながら、マヤ・Tを送り出したのだ。

より深刻な対比が存在する。イタリア国籍の活動家イラリア・サリス(Ilaria Salis)も同じ事件に関与したとして逮捕されたが、イタリア政府の対応は全く異なっていた。イタリア国内はマヤ・Tと同じ鎖につながれて裁判を受ける彼女の写真に激怒し、保護を要求した。イタリア政府は彼女をヨーロッパ議会議員の候補として指名し、当選させた。その結果、サリスは免責特権を得て自由を手に入れた。

一方、ドイツ国籍のマヤ・Tについては、市民の間でも大きな反発がなく、ベルリン当局の「手続き上問題がなかった」という説明がそのまま受け入れられた。これは、フランス政府がマヤ・T同様イタリア国籍者との共犯者について身柄引き渡しを拒否したことと、見事なまでに対比される。

ベルリンは確かに自由と民主主義を標榜する都市だ。しかし、その看板の背後には、制度と手続きに対する「恐ろしいほどの盲目的従順さ」が存在するのではないだろうか。ナチス時代を思わせる検察の冷酷な効率性と、それを黙認する沈黙の文化。華麗なベルリン映画祭の光が当たる中で、本当のベルリンの姿が明らかになったのである。

出典:https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0003207739&CMPT_CD=P0010&utm_source=naver&utm_medium=newsearch&utm_campaign=naver_news

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