2016年から2019年頃、K-POPファンなら必ず一度は耳にしたであろう楽曲の数々。それらのヒット曲の多くに共通する人物がいます。それが、2024年2月23日に41歳という若さで惜しくも鬼籍に入ったシン・サドン・ホランギ(신사동호랭이、本名:イ・ホヤン)です。本日23日は彼の2周忌。K-POP業界を支えた「ヒットメイカー」の軌跡を振り返ってみましょう。
■K-POPを代表する楽曲を次々と生み出した才能
シン・サドン・ホランギが音楽業界に初めて名を知られたのは、2005年。歌手チャジュ(자두)の4集アルバム収録曲「南と女」の作曲を手掛けたことがきっかけでした。しかし本当の意味で業界内での評価が確立されたのは、その後のアイドルグループたちへの楽曲提供を通じてのことです。
ティーアール・エンターテインメント所属のティアラ(티아라)の代表曲「ロリポリ」。ビースト(비스트)の「フィクション」。エイピンク(에이핑크)の「ノノノ」と「リメンバー」。そしてEXID(이엑스아이디)の「위아래」(ウィアラッピ)、モモランド(모모랜드)の「뿜뿜」(プッセウ)――これらすべてが、シン・サドン・ホランギのペンから生まれた作品です。
2010年代中盤のK-POPを象徴する楽曲たちです。どれもが音楽番組で繰り返しリサイクルされ、YouTubeで数億回再生を記録し、日本を含むアジア各地のファンたちに愛されました。シン・サドン・ホランギはまさに、2世代K-POPの黄金期を音楽制作の側面から支えていた存在だったのです。
■EXID メンバーが語った、「最高の保護者」との別れ
シン・サドン・ホランギが直接プロデュースした最初の女性グループがEXIDです。彼の訃報を受け、メンバーたちから寄せられた追悼メッセージは、音楽業界の人間関係を超えた、心からの感謝と悲しみに満ちていました。
メンバーのハニ(하니)は追悼コメントで、「お兄さんは本当に良い人でした」と切り出しました。そして「お兄さんの多くの配慮と努力、そして犠牲によって作られた枠の中で、私たちは本当にたくさん笑いました」と回想。最後に「お兄さんは最高の保護者でした。私たちを『私たちらしく』守ってくれてありがとう」と感謝を述べました。
この言葉には、単なる上司と部下の関係ではなく、アイドルたちの人格的成長と音楽的発展を心から応援していたプロデューサーの姿が浮かび上がります。K-POP業界は厳しい現実が多い中で、こうした温かい関係性を築けていたシン・サドン・ホランギは、本当に稀有な存在だったのでしょう。
■彼が残した342曲の遺産と、業界への影響
シン・サドン・ホランギはティーアール・エンターテインメントの総括プロデューサーとしても活動していました。彼が最後に手掛けたアルバムは、所属グループ・トライビー(트라이비)のシングル4集「ダイアモンド」でした。トライビーはこの曲で音楽番組に出演する際、黒い衣装に白いリボンを身につけ、故人を追悼する舞台を披露したといいます。
悲しいことに、シン・サドン・ホランギの死後、彼が所属していたティーアール・エンターテインメントは経営悪化により、昨年3月に破産手続きに入りました。しかし、韓国音楽著作権協会の記録によると、現在もシン・サドン・ホランギの名義で登録されている楽曲は合計342曲に上ります。
これは単なる数字ではなく、彼がK-POP史に刻み込んだ足跡の大きさを示しています。これらの楽曲は、時間とともに色褪せることなく、今後も多くのファンに聴き継がれていくでしょう。
■終わりに
シン・サドン・ホランギという人物は、表舞台に出ることはありませんでしたが、無数のK-POPアイドルたちを輝かせるための「光源」でした。彼が作った楽曲たちは、あなたが初めてK-POPにハマるきっかけになったかもしれません。あるいは、何度も聴き返した懐かしいヒット曲かもしれません。
2周忌を迎えた今日、彼の音楽がK-POPファンの心の中でどれだけ大きな存在であるかに気づかされます。シン・サドン・ホランギよ、安らかにお眠りください。
出典:https://www.insight.co.kr/news/543964
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