韓国エンタメ界において、彼女の名前を聞いて「唯一無二」という言葉を思い浮かべない人はいないでしょう。1990年代後半、指に付けた小さなマイクと扇子を手に、独特なテクノサウンドでアジア中を席巻した「テクノ女王」イ・ジョンヒョン(이정현)。
あれから約30年。スクリーンとステージを縦横無尽に駆け抜けてきた彼女は今、妻であり、二児の母、そして俳優、さらには「映画監督」として、人生の新たな全盛期を迎えています。最新のインタビューから、彼女の驚くべきエナジーの源と、私たちが知らなかった素顔に迫ります。
■ 時代を創った「アイコン」から、愛あふれる「ママ」へ
多くのファンにとって、イ・ジョンヒョンの原点は1996年の鮮烈なデビュー映画『花びら(꽃잎)』や、1999年の大ヒット曲『Wa(와)』にあるはずです。当時の韓国は、経済危機(IMF)の暗い影が差していた時代。そんな中、規格外のパフォーマンスを披露する彼女の姿は、人々に一種の解放感を与えました。
そんな「時代のアイコン」も、今では二人の娘を育てるママ。インタビューで語られた日常は、驚くほど多忙で、かつ愛情に満ちたものでした。
「最近は大学院の卒業制作である短編映画の編集を終えたばかり。その間に広告撮影や、『コンビニレストラン(편스토랑/KBSの人気料理バラエティ番組)』の収録もありました。その上、上の子が冬休みだったので……正直、死ぬかと思いました(笑)」
毎日4〜5時間睡眠で、育児と仕事、家事を完璧にこなす彼女。その原動力は、やはり子供たちの存在だと言います。韓国では1歳の誕生日に「トルジャビ(돌잡이)」という、並べられたアイテムの中から子供が選んだもので将来を占う伝統行事がありますが、長女のソア(서아)ちゃんはパパと同じ聴診器を、次女のソウ(서우)ちゃんはマイクを掴んだのだとか。
「夕食後はYouTubeで私の過去の映像や他の歌手のステージを流して、みんなで歌って踊るのが日課です。まさに『リトル・イ・ジョンヒョン』の早期教育ですね(笑)」
そう語る彼女の顔は、かつてのカリスマ歌姫ではなく、一人の幸せな母親そのものでした。
■ 俳優、そして「監督イ・ジョンヒョン」としての新たな挑戦
イ・ジョンヒョンが20代の頃に語っていた「40代になったら演出に挑戦したい」という夢。彼女はそれを見事に現実のものにしました。
初監督作品となった映画『花見に行く(꽃놀이 간다)』は、生活苦の中で命を絶った母子の実話をモチーフにした物語。彼女がなぜ、あえて重い社会派のテーマを選んだのか。そこには、彼女自身の深い後悔と、母への想いがありました。
「5年前に母を癌で亡くしたのですが、放射線治療が必要なほど苦しい状態だった母が、何度も『お花見に行きたい』と言ったんです。私は治療を優先させて無理やり入院させたのですが、それが今でも心残りで。母は治療の先にある『希望』としてお花見を夢見ていたのかもしれません」
映画監督としての彼女は、現場のスタッフ一人ひとりに気を配り、衣装や小道具まで自らチェックする徹底ぶりを見せました。世界的な巨匠パク・チャヌク(박찬욱)監督やヨン・サンホ(연상호)監督の現場で学んだ「映画への情熱」を、今度は自分の作品へと注ぎ込んだのです。
■ 「引退はしていない」ファンが待ち望む歌手復帰は?
これほど多方面で活躍していると、ファンが気になるのは「またあのステージが見られるのか?」という点です。昨年、人気番組『不朽の名曲2(불후의 명곡 2/往年の名曲を現代の歌手がリメイクする競演番組)』でスペシャルステージを披露した際にも、大きな反響がありました。
「歌手活動を完全にやめたわけではありません。今でもデモテープは聴いていますし、納得できる音楽に出会えたら、いつでもステージに立つ準備はできています」
そう力強く語る彼女。40代半ばを過ぎてもなお、「今が一番忙しくて、今が一番幸せ」と断言できる潔さは、まさに私たちが憧れる「かっこいいオンニ(お姉さん)」そのものです。
小さな体で、ある時は家族を支える温かい母として、ある時は鋭い視線を持つ映画人として、変幻自在に姿を変えるイ・ジョンヒョン。彼女の座標は常に移動し続けていますが、その中心にある熱いエネルギーだけは、あの頃から少しも変わっていません。
「私の全盛期は、まさに今です」
そう言い切る彼女の挑戦は、これからも私たちに勇気を与えてくれそうです。
イ・ジョンヒョンさんのマルチな活躍、本当に素晴らしいですよね。皆さんは、彼女の「歌う姿」と「演じる姿」、どちらがより印象に残っていますか?また、忙しい毎日を乗り切る彼女のエナジーについてどう感じたか、ぜひコメントで教えてくださいね!
出典:http://woman.chosun.com/news/articleView.html?idxno=125051





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