2011年4月25日に72歳で逝去した名俳優キム・インムン(김인문)さんの没後15年を迎えました。脳梗塞や膀胱がんを患いながらも、『猟奇的な彼女』などの名作で最後まで演技を続けた不屈の歩みが改めて注目されています。
韓国で「庶民の顔」として親しまれ、多くの人々に愛された名俳優、故キム・インムン(김인문)さんがこの世を去ってから、本日で15年が経過しました。高陽(コヤン)市の東国(トングク)大学校医療院で彼が息を引き取ったのは、2011年4月25日のことでした。享年72歳。節目の年を迎え、韓国国内では彼が遺した偉大な足跡と、病魔に屈しなかった役者魂を振り返る声が上がっています。
■ 「国民の父」として刻まれた30年以上のキャリア
キム・インムン(김인문)さんは1967年、映画『裸足の栄光』で銀幕デビューを果たしました。その後、数多くのテレビドラマや映画に出演し、韓国の茶の間に欠かせない存在となりました。特に、韓国で22年間の長期にわたって放送された伝説的な農村ドラマ『田園日記(チョノンイルギ)』や、『ナツメの木に愛が実るね』などに出演し、素朴で温かい父親像を好演。その親しみやすさから「国民の父」という称号で呼ばれるようになりました。
彼の活躍はテレビドラマに留まらず、映画界でも光り輝いていました。日本でも大ヒットしたチョン・ジヒョン主演映画『猟奇的な彼女』をはじめ、『花嫁はギャングスター』、『達磨よ、遊ぼう!』、『マイ・リトル・ブライド』、『極楽島殺人事件』といった多様なジャンルの作品に出演。生活感の溢れる表情と独特の語り口は、作品に圧倒的な現実味を与え、主役を支える重要な柱として重宝されました。
■ 脳梗塞とがん、幾多の病魔に立ち向かった不屈の精神
彼の俳優人生は、決して平坦なものではありませんでした。1994年に初めて脳梗塞の判定を受けてからも、彼は演技の手を止めることはありませんでした。2005年には3度目となる脳梗塞で倒れ、右半身の麻痺という大きな試練に見舞われましたが、懸命なリハビリを経て現場に復帰。その後も映画『無事安逸』や『極楽島殺人事件』、そして遺作となった『独を作る老人(ドッチヌン ヌルグニ)』などに出演し続けました。
特に驚くべきは、2010年に『独を作る老人』を撮影していた際、膀胱がんが発見されたという事実です。すでに右の手足が不自由な状態であったにもかかわらず、彼は周囲に弱音を吐かず、最後の最後まで撮影に臨みました。製作発表会にも不自由な体を押して出席し、「俳優としてカメラの前に立つことが自分の使命である」という強い責任感を見せ、多くの後輩俳優やスタッフに深い感動を与えました。
■ 後進の育成と障がいを持つ俳優への支援活動
キム・インムン(김인문)さんは自身の演技活動だけでなく、次世代を担う俳優たちの育成にも情熱を注ぎました。2008年には慶尚南道の昌原(チャンウォン)市にある昌信(チャンシン)大学校演劇映画科の初代学科長に就任。長年の経験に基づいた演技論を学生たちに伝授しました。
また、自身が病を抱えていた経験から、社会的な活動にも力を入れました。2009年には「韓国障がい者放送人協会」を設立し、障がいを持つ俳優たちが活躍できる環境作りと育成に尽力。彼が残した功績は、単なる出演作のリストだけでなく、彼が示した「俳優としての生き様」や「弱者へのまなざし」として、今も韓国エンターテインメント界に深く刻まれています。
📚 Buzzちゃんの豆知識
■ 国民の父(クンミン・アボジ)
韓国では、長年ドラマで親しみやすい父親役を演じ、大衆から実の親のように慕われる俳優に「国民の父」という愛称を贈る習慣があります。故キム・インムンさんのほか、ソン・ジェホさんなどが代表的で、母親役の場合は「国民の母(クンミン・オモニ)」と呼ばれます。
■ 田園日記(チョノンイルギ)
1980年から2002年まで、22年間にわたり全1088回放送された韓国史上最長寿のテレビドラマです。農村を舞台に家族や近隣住民の日常を描き、韓国の原風景や情動を象徴する作品として、今でも中高年層を中心に語り継がれています。
『財閥家の末息子』のようなスリリングな展開も大好きですが、キム・インムンさんのような温かい「お父さん」の演技は、見ているだけで安心感をもらえますよね。病気を隠してまで最後までカメラの前に立ち続けたというエピソードを聞いて、改めて作品を見返したくなりました。皆さんは韓国ドラマの「お父さん役」といえば、真っ先に誰を思い浮かべますか?優しそうなお父さん派、それとも厳格なお父さん派、どちらが好きですか?
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