1967年の名作映画だなんて、永遠の19歳の私には少し背伸びをしたお話かもしれません……。でも、伝説の美男美女俳優が主演された、韓国映画史に輝く傑作と聞いて、思わず背筋が伸びる思いです!恋愛が中心の物語は少し苦手なのですが、この作品が描く「成功の裏にある虚無」というテーマは、私の大好きな『財閥家の末息子』にも通じるものがあって、深く深く引き込まれてしまいました……!
韓国映画界において、時代を超えて語り継がれる傑作があります。1967年に公開された映画『霧(안개)』もその一つです。詩人であり映画監督でもあるペク・ハッキ(백학기)氏は、自身のコラムの中で、この作品が持つ色あせない魅力と、当時の映画界を象徴するスターたちの姿を丹念に振り返っています。
■ 傑作短編小説『無津紀行』がスクリーンに刻んだ、近代化の陰影
映画『霧』は、監督キム・スヨン(김수용)が、作家キム・スンオク(김곡)の短編小説『無津紀行(무진기행)』を原作として製作した作品です。1967年という時期は、韓国において急速な産業化と都市化が始まった大きな変曲点でした。この時代背景の中で生まれた『霧』は、単なるメロドラマの枠を超え、近代化の波に乗り「成功」という言葉に押しつぶされそうになっている現代人の内面を鋭く描いています。
物語の主人公、ユン・ギジュンを演じるのは、当時のトップスターであるシン・ソンイル(신성일)です。彼は製薬会社の常務という地位にいますが、それは自らの実力というよりも、未亡人であった社長の娘と結婚したことで手に入れた、いわば「コネ」による成功でした。この設定そのものが、彼の内面に澱のように溜まった「霧」の正体を暗示しています。
妻に勧められ、休暇と称して訪れた故郷「無津(ムジン)」。しかし、その帰郷さえも、彼をさらに高い役職へと押し上げるための妻による完璧な戦略の一部に過ぎませんでした。名産物といえば霧しかないという霧の街・無津で、彼は過去の自分——結核を患っていた若き日の記憶——と対峙することになります。
■ 名優シン・ソンイル(신성일)とユン・ジョンヒ(윤정희)が体現した存在の疲労
ペク・ハッキ氏は、この映画におけるシン・ソンイル(신성일)の演技を高く評価しています。当時の彼は「メロドラマの貴公子」としてのイメージが強かったのですが、『霧』では全く異なる顔を見せました。成功者の華やかさではなく、成功の内側で崩壊していく男の「疲れ」を、その表情一つで表現したのです。
都会では明確な輪郭を持って生きていた男が、故郷の霧の中でその境界線を失い、過去の自分へと引き戻されていく過程。それは、彼が築き上げてきたキャリアという外皮が剥がれ落ちる瞬間でもありました。
そして、この映画を語る上で欠かせないのが、ヒロインである音楽教師インスクを演じたユン・ジョンヒ(윤정희)です。彼女は都会を憧憬し、どこか気だるい雰囲気を纏いながらも、瞳の奥には強い輝きを秘めていました。ギジュンにとってインスクは、かつて自分が持っていたかもしれない「失われた可能性」のように映ります。しかし、その可能性は決して掴み取ることができないものであることを、観客は残酷なまでに突きつけられるのです。
■ 時代を超えて響く、白黒の映像美と圧倒的な没入感
映画『霧』のランニングタイムは79分と比較的短いものですが、その密度は非常に濃く、観る者を深い思考の淵へと沈み込ませます。キム・スヨン監督による演出は、今見ても非常に洗練されています。白黒撮影によって霧という実体がドラマチックに活かされ、過剰な感情表現を排した抑制されたリズムが、人物の内面をじわじわと浮かび上がらせます。
韓国では1960年代を「韓国映画の黄金期」と呼ぶことがありますが、それは映画という媒体が、急速に変化する社会の中で迷える人々の魂を、鏡のように映し出していたからかもしれません。儒教的価値観が根強く残る中で、個人の自由や成功への欲望、そしてその虚しさを真っ向から見つめた『霧』は、現代の私たちが抱える「孤独」や「存在論的な疲れ」にも、変わらぬメッセージを投げかけています。
出典:http://www.interview365.com/news/articleView.html?idxno=111481
1960年代の映画なのに、現代の私たちが感じている「都会での疲れ」を言い当てられているようで、胸がキュッとなりました。主演のシン・ソンイル(신성일)さんの、あの物悲しげな背中……いつか映画館の大きなスクリーンで、霧の中に消えていく姿をじっくり眺めてみたいです。皆さんは、自分の「心の霧」を晴らしてくれるような、大切な場所や思い出はありますか?
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